ラフテルと空白の100年

※これは個人の私的な考察です。考察を知って、楽しみが減ると思ってしまう人には、ここから先は読むことをお勧めしません。

ワンピースが何か分かったので、ラフテルと空白の100年についても、その謎は解けました。


ワンピース(ひとつなぎの大秘宝)の答え



伊勢神宮の外宮とエチオピアのAxumにある聖マリア教会。

契約の箱は1つと考えられているが、本当は2つあって、one piece of two piecesである。

そして2つの契約の箱を結んだ直線には多くの世界遺産・国宝・前方後円墳群が浮かび上がる。

それが現実世界に実在しているワンピースの答えである。



ラフテルと空白の100年


「空白の100年」は、日本の古代史の中で実際に言われていることである。

266年~413年の間、中国の歴史書に倭の国についての記述が全く出てこない。

「失われた4世紀」や「謎の4世紀」と言われている。

4世紀ごろと言えば、大和政権の支配力が拡大し、前方後円墳が造られ始める時代である。

大和政権はどのようにして力を持ち、拡大したのか、なぜ、前方後円墳が造られるようになったのかは、今でもよく分かっていない。


前方後円墳といえば、エチオピアにも「あの形」が存在している。

アクスムのオベリスクが建てられた最盛期も、4世紀ごろである。

ラフテルは出雲である。

イヅモ・イツモは、ヘブライ語で「最果て」を意味する。


我が国の歴史は大和政権から始まったことになっているが、『古事記』の出雲神話の中に、オオクニヌシの国譲りの物語がある。それによるとオオクニヌシは、一生懸命に大きくした国を、大和からやってきた使者に、交渉の末、譲り渡した。

オオクニヌシは、国を譲る代わりに自らを立派な宮殿に祀るようにと条件を出した。

そうして建てられたのが、出雲大社だと考えられている。

長い間、出雲神話は、歴史的な事実ではないと考えられてきた。出雲とは、どこにでもあった地方豪族が収める国の1つに過ぎないと考えられてきたのである。


しかし、1984年に出雲で大量の銅剣が発見された。これは全国から出土した全ての銅剣の数よりも多い。さらに、1996年には大量の銅鐸が発見された。一カ所からの出土としては、日本最多である。荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡の発見である。

もしかしたら、出雲神話は単なる神話ではなくて、何かしらの歴史的な事実に基づいて書かれたのではないか・・・そんなことが言われ始めた。


出雲には四隅吐出型古墳という変わった形の古墳がある。日本海沿いの地域に確認されている古墳だが、分布の中心は出雲である。

四隅吐出型古墳が衰退していく時期も4世紀である。


きっと出雲には王国があったが、オオクニヌシの国譲りによって、大和へ力が移った・・・そのように考えることができる。


出雲大社が国譲りのあとに建てられたとしたら、それ以前の出雲王国の中心はどこにあったのか。

それは、四隅吐出型古墳や遺跡の密集地帯。出雲平野のどこかだ。

外宮からアクスムのラインを追い掛けていくと、まさに出雲平野を通り抜けている。

そして、一つの重要な神社の存在に気が付く。

それは、塩冶(エンヤ)神社である。

塩冶神社は、『出雲国風土記』にもヤムヤ社として記されている。

さらに、『日本書記』にはヤムヤの淵として、重要な物語が書かれている。

それは、出雲の神宝が大和へ渡るときの話である。


塩冶神社のある地域は今でも塩冶(エンヤ)と呼ばれている。

エンヤと聞くと、エンヤコラやエンヤラヤというよく意味が解らない言葉と繋がりがあるように感じる。

伊勢神宮ではエンヤ曳きという行事もある。



・ラフテルはかつて出雲にあった王国のことである。

・その王国の中心は「塩冶」にあり、4世紀に衰退した。

・出雲の王国が衰退し、大和政権の力が拡大した。

・出雲から大和へ神宝が移されたことと関係がある。


失われた4世紀について、このような仮説を立てることができるだろう。



本の中では、塩冶に残るもう一つの重要な手がかりと、出雲の神宝についての仮説を展開していますので、是非ごらんください。

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ワンピースは(現実世界に)実在している

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